*NEWS*


☆今年2月に個人事務所を開設しました☆
これは私達の 小さな小さな一歩です。
どうぞ御見知りおきを。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
[Umlaut]
「タカノユウコのベルリン修行便」、寄稿させていただいています☆
Gallery Books Coffee iTohen「タカノユウコのベルリン修行便」

過去の振付作品(動画を御覧いただけます)/my past works(you can watch short movie)
「under my skin」2009
「lost child」2010
short improvisation for solo work 2011
「toc toc toc」2011



8/30(Thu)

【タカノユウコの入院修行便】 

《4》嵐が来るぜ

手術する前々日くらいに、自分の腰椎のレントゲン写真、MRI画像、CT画像を見せていただいて、
最終的な症状への診断と詳しい手術の説明を受けました。
始めのほうに書いたように、一言で「腰痛」と言っても様々な要因が考えられるそうです。
腰椎分離症を持っている人でも全く腰痛がない人もいらっしゃるし、私のように分離症があるんだけど、
本当にその部位だけが原因なのか、もっと他に原因があるのではないか、といろんな視点から診断を受け、
判断していただきました。

普段から身体ととても近い関係で生活や仕事をしている私ですが、レントゲン写真、MRI画像、CT画像を
みることで、自分の骨や組織そのものを目で確認できて、すごく興味深いものがありました。
模型とか図で一般的な骨の形はよく見ていますが、自分の腰椎の写真なんてなかなか見る機会ないですから。
自分の感覚だけではなくて、実在する中身を認識することってすごく大事だなと。
身体をただ動かすだけではなくて、解剖学を学び骨の仕組みや構造を理解することで、より明確に目的に向かう
ことができる。
そしてそうやって自分の身体を理解することで、故障も少なく出来る訳です。
このことは年齢を問わず、ダンスの教育の中でとても大事な要素のひとつであると思います。
例えば「足をあげる」という行為ひとつをとっても、ただひたすら高く足をあげなさい言うのか、
足の構造はこうなっていて、こうやったら綺麗に足があがる、こうやったら腰に負担がかかるから気をつけなさい
と言うのかで、その指導を受けた子の動きや人生は全く違うものになります。
そして身体は個人個人違うものなので、たどり着きたい目標に対して、その子の身体に合った道筋を一緒に見つける
手助けをすることがとても重要なことだと思う。

もうひとつ感じたのが、本当にでこぼこで全く左右対称じゃなかったんです、私の腰椎。
奇形という意味ではなく、基本的な形はなしていますが、標本や図のような「きれいな線対称」ではなかった。
その時に「本当に自然っていうのは対称であったり、整った形ではないんだな」ということ。
それがなぜかすごく美しく感じたし、嬉しかった。

△▼△

手術の前日の夜からは絶食でした。
大きな台風が来るという天気予報。。。嵐が来るぜ。

つづく



8/25(Sat)

【タカノユウコの入院修行便】 

《3》どっこらしょと病院へ

そんなこんなで入院の日。
手術を3日後に控え、当日より少し前に入院しました。
前にも書きましたが、荷物で一番多かった荷物は本、、、重かった。。。
一応1ヶ月の入院と聞いていたので、「これだけあれば充分でしょう」と予測して(実際には全く足らず)
どっこらしょと病院へ。
6月15日、金曜日でした。

△▼△

朝から病院に向かい、受付で入院手続き。
「やっとここまで来た」と少しほっとした気持ちに。
ここまでくると、もう不安とか恐怖というのはなくて、症状と付き合ってきた日々や、入院を決めるまでの日々
を思うと本当にすっきりしていました。

そして係の人に案内していただき、整形外科の病棟へ。
病棟なんて普段は踏み入れることのない場所なので、どきどき。
トイレやシャワー室などの設備の説明を聞き、病室へ。
廊下にはずらーっと手すりがついてる。
見た事のないものがいっぱい。
手術をするまでは4人部屋で、ということで、同室の方にご挨拶。
しばらくしてから看護師さんから、手術までの流れと、術後の説明。
手術の前日に麻酔科の診察があること、手術時は術着と専用の靴下をはく事(これはきつめの膝丈ソックスの
ようなもので、手術中〜術後すぐはベッドに寝たままの姿勢なので、血栓ができるのを防止するため)、などなど。

はじめての病院食も体験。薄味。。。
なので入院前にいろいろと食べ納めして参りました。。。

△▼△

そして、手術前日には、麻酔科の先生と問診。
私の手術は全身麻酔ということで、事前にアレルギーの有無等を聞かれたり、
全身麻酔のことについての細かい説明を受けました。

入院する前に知人達の全身麻酔や局部麻酔の武勇伝を聞いていたので、
「寝てる間に終わります」と説明されても「ほんまかいな」と思って疑いつつ。

先生から、
「手術中に、口の中に管を入れてますので、目が覚めた直後は話せないと思いますが、びっくりしないで
大丈夫ですよ」
と優しいお言葉もいただくのですが、
「う〜ん、、、麻酔から覚めた瞬間にそんなん覚えてるんかな、、、」と、一生懸命脳みそに記憶させようと
がんばってみる私。

すべてが初めてのことなので、わーっとかへーっとか思ってるうちになんやかんやと時間は過ぎていくのでした。


つづく



8/17(Fri)

【タカノユウコの入院修行便】 

《2》腰は私の教科書

手術日を決めてからは入院の準備や検査をいくつか。

全身麻酔の手術ということで、血液検査や肺活量測定、心電図等で、身体の状態をチェック。
採血ではほんとに久しぶりに注射器を見たんですが、最近の注射器はすごいですね。ほんとに痛くないのね。
いや〜、私って、飛行機がなぜ飛ぶのか、何度ウィキペディアを見ても理解できない人なんです。
文明の発展とか、理化学とか物理学とか機械とか、信用してないところがありすぎるんですが、なんかほんとに
医療の進歩ってすごいんやな〜と思いました。
鼻の粘膜を採取する検査では、なが〜〜〜い綿棒を鼻に入れるんですが、なんとも言えない感覚でつーんと涙。
看護師さんも一緒に、なんとも言えない顔に。。。感覚って伝わるのね。
肺活量測定では、トイレットペーパーの芯のもうちょっと細いくらいのを口にいれて、肺の中に空気を入れまくって
吐ききるんですが、結構これが難しくて、隣りで看護師さんが
「はい、がんばって〜もうちょっと〜もうちょっと〜はい〜上手です〜」
と音頭を取ってくださり笑いそうになりながら無事終了。

いろんな検査をして、ま〜とにかく健康体ということで、安全な手術ができますとのことで一安心。
あとは、入院中に必要なものを少しずつ揃えました。
何が一番必要だったかって?それは断然本ですね!
入院中50冊は読みました。ほんと。
入院する日の朝に本を届けてくださった方や、家に本を送ってくださった方も。
「あ〜、この本でもう読むものもない。。。」と絶望した夜。次の日にお見舞いにきてくださった方が漫画を
持って来てくださった時には、もう天使のように見えました。。。ありがとうございました。

△▼△

検査や体調管理等の準備と平行して、いろんな方へのご挨拶も。

皆さんほんとに温かいご理解をくださり、感謝の気持ちとともに、次への目標を見つけることができました。
優しい方ばっかりです。
そんな中で興味深いな〜と思ったこと。

例えば、「今度、こういう事情で入院するんです。だからしばらく伺えないんです。」とお伝えして、
全身麻酔が怖いとかなんやらお話させていただくと、
「いや〜実は私も。。。」とか「うちの家族が。。。」とおっしゃる人が多く。
入院や手術時のエピソードを話してくださったり
自分にとってはあまり言いたくない事でしたが、思い切って自分が素直に告白することで相手も素直に話して
くださることってあるんだなと。

あと、ダンサーの方に手術の事や分離症のことを話すと、
「実は私も分離症なんだけど、やっぱり踊りや仕事から抜けられないから、ひどくなってきてる」
「座骨神経痛がもう長くて。。。」という方も多く。
ダンサーに限らず、なかなか休養が取れなかったり、自分に合う病院や治療法が見つからなくて痛みを
抱えている方は本当に多い。自分の身体とは命が終わるまで、ずっとずっと一緒なんだから、どうやって
共存していくのかというのはとても大事なことで。温存治療するのか、生活習慣を変えてみるのか、
整体やマッサージに行くのか、ストレッチするのか、私のように手術を受けるのか、その方法は人それぞれ
だと思うけれど、時間の流れに任せて放っておくのではなく、少しでも自分の身体を向き合って、そして
自分の身体と一緒にどう生きるのかを選べるような環境って大事だなと思った。
自分は、そういう「身体と向き合う時間」のお手伝いをするような仕事をしたいと思った。
これが私が自分の身体から学び、見つけた希望です。


つづく



8/15(Wed)

【タカノユウコの入院修行便】 

《1》腰椎分離症との蜜月

私は6歳頃からクラシックバレエを初めました。
始めの頃は習い事のひとつとして一週間に2回くらいのペースでレッスンに通うくらいでしたが、
小学校4年生くらいの時に突如、「わ!これは楽しい!」って感じた瞬間があって、もうそれからは
のめり込むように練習し始めました。
私の自我が芽生えた瞬間です。

それからは家での一人遊びもバレエ、好きなバレエのビデオはすり切れるまで見る、好きなバレエ音楽は
ヘビーローテーション、バレエの雑誌を何度も何度も読んで、とにかく好きになったわけです。

成長するにつれて練習量も増えて、中学・高校時代は学校帰りにほとんど毎日レッスンに通ってくるくる
回っていました。
そしてその延長線上に大学も舞踊科に進みました。

△▼△ 

大学1(大阪芸術大学)の在学中、確か21歳頃のことだったと思います。
朝、起きて、立とうと思っても立てない。
四つん這いになるのがやっとで、とにかく腰に力が入らない。
これが分離症に気づくきっかけになりました。

とにかく病院に行こうとなって、近くの病院でレントゲンを撮ったところ、診断は「第五腰椎分離症」。
「あ〜君バレエやってるの?それでなったんちゃう。もう踊れないね〜」といきなりの宣告で、号泣。
しかししかし、そんなはずない!とまた別の病院に行き、診断してもらった結果は、
「腰椎分離症だけど、少し休んでうまくケアしてやれば、またちゃんと踊れますよ」と言われ、湿布をもらって
帰ってきました。
それが人生で初めてのぎっくり腰だったわけです。

当時の生活は、大学の舞踊専攻ということもあり、朝から晩まで踊りっぱなしの生活で、
本番前等にリハーサルが増える度に、腰に負担が蓄積されるようになるという繰り返しでした。
それでも「練習が多くなると腰が痛いな〜。。。」という程度のことで、まあ、みんなそんなもんだろう。と
思っていたら、突然立てなくなって、いやいやびっくりしました。
初めてのぎっくり腰のその後は、何日か休むとまた踊ることもできたので、
そこからは整体に行ったり鍼を受けたり、練習前や後にストレッチを念入りに行ったりして、
それまで以上に身体のケアにつとめるように。

そして大学1を卒業するころ、進路について考えたところ、
「作品を作り続けるために、自分の頭の中のイメージを自分の身体で人に伝えられるようになりたい。
 だから、きちんと身体のことを学びたい」という理由も一因となり、大学2(神戸女学院大学)へ。

大学2では、様々なダンスのメソッドや哲学を通して、自分の身体を認識し、「自分自身の身体」と向き合う
濃密な時間を得ました。
怪我や故障があったとしても、それと共存し、自己を磨くことができる術を学びました。

△▼△ 

しかしながら、この腰椎分離症という症状は、疲労骨折した部分が自然に元通りになることは難しく
(年齢や個人差でくっつく方もいます)、やはり腰痛とうまくつきあっていくことを余儀なくされました。
身体が疲れてくるとどうしても腰をかばうので、アキレス腱の腱鞘炎になったり、いろいろ付随する症状も
ありました。

私の仕事というのは、一年、もしくは何ヶ月か前に本番の日程が決まり、その日に標準を合わせてリハーサル
と身体作りをしていきます。
しかし本番の日だけうまくいけばいいというものではなく、普段の練習や作品のリハーサルの延長線上に作品
が存在するので、普段から心身を整えることで素晴らしい作品を生み出していくことができるわけです。
だから、やはり日々のケアは不可欠でした。

そんなこんなで大学2も卒業し、1年間ベルリンで活動したり帰国後は日本で個人事務所を開いたりしていた
のですが、その間にも何度かぎっくり腰を繰り返し、今年の春以降では日常生活にも支障を来すように。
長時間歩けない、床に座る時に支えがないと座れない等々。。。

「もうそろそろちゃんと向き合わないとあかんな」と、意を決して脊髄を専門に扱っている病院の外来に行き、
いつものようにレントゲンとCTを撮って、診断を受けました。
担当の先生は、現在の症状に至るまでの経緯や、これまでやってきた治療や私自身の気持ちを聞いた後、
「年齢的にぎりぎりの部分もあるけれど、分離している部分に自分の骨を移植するという方法があります」
とのこと。。。!
詳しく御聞きすると、分離している部分に、自分の腸骨(骨盤の骨)から取った骨を挟んでビスで固定し、
移植した骨と元々の骨がくっつくのをを待つ。
というものだそうで、若年層であればあるほど移植した骨がつく可能性は高く、速いそうです。
30代をすぎるとやはり骨の成長期も過ぎているので、骨の発達も遅く、くっつくかどうかは100パーセント
確実ではないとのこと。

「根治したい」という思いはずっとずっとあって、その度にインターネット等で調べても、
「第五腰椎を他の腰椎とがっちり固定する」というやり方か、温存治療(そのまま湿布やマッサージでケアする)、
もしくはブロック注射で痛み止めをするくらいしか見つからず既にあきらめていたので、
骨を移植するというのを聞いたときは、よくわからないけど、なんか「きらーん☆」と光が見えました。
必ずくっつくかはわからないし、手術後は1年〜2年、コルセットを巻いて固定する生活することになり、激しい
運動はできない、と説明を受けましたが、人生を大きなスパンで見れば、自分にとって1年や2年で完治できるの
なら長い時間ではないなと思いました。

△▼△ 

手術をするにあたっては、身体を使う仕事をしているということで、「残念ですね」とか
「身体にメスを入れるなんて」とか、「第一線ではもう踊れないんじゃない?」と言う方もいらっしゃいました。
でも、私にとってのダンスは、日常の延長線上にあり、根本は一人の人間としてどう生きるかということです。
自分の身体に正直であること。これが私の思想です。
だから、「もう踊れなくなる」という悲観的な考えには至らず、むしろ、その主治医の先生の言葉で、
「まだまだ自分には可能性があるんだな」と、何か新しい世界や感覚に出会える希望を感じました。
第五腰椎のバージョンアップですね。

。。。とは言いつつも、やはり手術をすることに対して悩む部分もありました。
やっと根治への道が見つかった、と半ばほっとした気持ちと、
でも、手術を受けて今よりも症状がひどくなってしまっても、もう後戻りはできない、
別に少しぐらい我慢したら手術なんてする必要ないんじゃないか、
今まで培って来た「感覚」を手放したくない、という不安と執着で、しばらくうじうじしていました。。。
手術日を決めてからも、担当の先生に、
「あの〜、、、ぎりぎりになってやっぱりやめますって言っても大丈夫ですか?」などどいう弱気なことも言ってました(笑)。
でも、やはり日々の中での症状の悪化は自分自身が一番よくわかっていたし、その状態で100パーセント以上の
パフォーマンスをすることはできないと観念しました。
幸いなことに、私をサポートしてくれる家族、そして、私の現状を理解していただける方々に後押ししていただき、
最終的には自分で納得して手術を決めました。

つづく



8/11(Sat)

今年で五回目を迎えられた共同企画公募展「おんさ」の言葉のジャンル。
神戸女学院大学舞踊専攻の松岡風花さんにも共演していただき、
映像DVDで、朗読とダンスをさせていただきました。



18人の作家さんが綴られた言葉とゆるやかな時間をぜひ御覧下さい。

ちなみに展示風景はこんな感じでした。
→http://onsa-pr.tumblr.com/post/27253380245/onsa-2012-words-at-beyer 

展示は終了していますが、詩集とDVDは引き続き販売されていますので、
御希望の方は
【beyer:http://www.beyerbooks-pl.us/ 】のcontactからどうぞ。  





8/8(Wed)


暑中お見舞い申し上げます☆
毎日暑い日が続きますね。。。

突然ですが、2012年6月15日〜7月20日までの5週間、入院しておりました。
そして只今リハビリ中。
と言っても患部以外は元気なので、この暑さに負けない体力を取り戻すこと。よく食べよく寝てよく遊ぶ。
まずはこれに邁進中です。
そして新しく生えてくる骨のことに「にょきにょき生えろ〜どんどん生えろ〜」と想いを馳せています。

念のためお伝えしますが、外科手術での入院で、命に関わるものではありませんでしたので、
ご心配なさりませんよう。 

病名というか、症名は「第五腰椎分離症」というもの。
慢性的な腰痛をお持ちの方ならご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

遡れば、小学生くらいの頃から20年ほど付き合って参りました、
この腰椎分離症とそれに伴う痛みなどなど。。。
でも術後は不思議なくらい全く痛みもなく、順調に回復しています。

△▼△

まず「腰椎」というのはどこにあるんだというと、、、
私達の身体の中で「背中と腰」をイメージした場所には、
首の骨である「頸椎」が7個、
胸の部分と繋がる「胸椎」が12個、
そして腰の骨である「腰椎」が5個、の合わせて24個の椎骨で構成されています。
そしてその腰椎の一番下、第五番目にある腰椎は、さらに仙骨という骨と骨盤に繋がっていきます。

その第五番目の腰椎の一部が分離し、周りにある神経を圧迫したりして腰痛を伴ったり、
下肢神経のしびれを起こすのが一般的な「第五腰椎分離症」の症状です。
先天的になりやすい方もいらっしゃるそうですが、後天的になる方は、若い頃に激しい運動を伴うスポーツを
されていた方が多いとか。
五番目の腰椎は骨盤との連結部分に当たる場所で、腰をひねったり、背中を反らしたり、激しい運動をした時に
非常に負担がかかる部分なのです。
ただ、分離症があるからといって、すべての方に痛みがあったりしびれがあるか?というのは個人差があって、
一生涯、分離している部分に気づくこともなく、全く何の症状もでない方もいらっしゃるそうです。

言ってみれば腰椎の骨折のようなものですが、「ぼきっ!」と一瞬で折れる骨折というよりは、
同じ動きを何度も繰り返したり、腰椎に負担をかけ続けることの積み重ねでなる疲労骨折のようなものなので、
「今折れた!」「この運動をやったから折れた!」というような断定や判断がつきにくいこの症状は、
「自分の行動の何が原因だったのか?」「これからどういう風に身体を使ったらよいのか?」
「これからどうやってこの症状と付き合っていくか?」と自分自身とダンスの関わり方を常に
自答自問する課題を私に与え、その後自分の身体と向き合う大きなきっかけにもなりました。
そしてダンスの教育や環境を見直すことの必要性を感じたり、ダンスやスポーツだけでなく、
日常の生活の中での身体との関わり方について研究し、
これからの人生の中で少しずつ、自分の周りの方々にお伝えしたいと考えるようになりました。

未来に向けて、次の世代にむけて、自分自身ができることを少しずつ。

△▼△ 

症状とのお付き合いの日々と、人生初(出生時を除き)の手術&入院生活の中で見たもの、感じた事、
自分が実際に経験したことをつらつらと書いていきます。
私自身は、絵画でも映画でもスポーツでもダンスでもなんでも、作品や演技や結果だけでなく、
その当時者に対しての興味があります。
なぜそういう行為や作品に至ったのか、日々の生活は一体どういうものなのかという、その結果に行きつくまでの
過程に非常に興味があります。
人生が作品そのものだからです。
この日記は私の作品です。
というわけで、ベルリン修行便の続編にさせていただこうと思います。
【タカノユウコのベルリン修行便】はこちら
では、【タカノユウコの入院修行便】はじまりまーす。

ちなみに、症状や手術内容、その他すべての記述は、あくまでも私の主観と実体験に基づいたものであります。
人間の身体や感情に他者と同じものなどひとつとありませんので、個人差等もあります。ご了承ください。


つづく



2007|0809101112
2008|0102030405070809101112
2009|010203040506070809101112
2010|0103040506070809101112
2011|01020304050607091012
2012|01020304

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