3/31 (Mon)
0時24分。 3月の最後の日の始まり。
なんとなく切なくなる。
なんとなくというのは
なんとなくとしか説明できない。
言葉の足りなさは
その意味が無限であることと隣り合わせである。

3/18 (Tue)


音楽がこころを溶かすという感覚
いつの間にか固くなってしまった自分が、じゅわーっと広がる感覚
無性に切なくなって、電車の中なのに涙があふれて
行き先があなたであればいいのにと思う

Photo by Hiroto Takahashi


3/17 (Mon)
バイト先の友、橋本望さんとパフォーマンスします。
詳細はmiraiのページをご覧ください。
えらいことになりそうです


3/17 (Mon)
急性胃腸炎になりました。
3日間寝込んでます。
今流行ってるらしいです。ひそかに。
流行りには、いろんな意味で乗りたくないです。


3/10(Mon)
テレビで、63年前の今日、東京大空襲があったと知った。
私の亡くなった祖母は、大阪の空襲で祖母と親と兄弟を亡くした。

祖母にとってはもう紐解きたくない過去だったと思うけれど、
もっと話を聞いておきたかったと思う。
自分の家族を戦争で失うということ
そして、それでも生きていかなければならないということを
彼女は一生背負い続けた。
そして母が生まれ、私が生まれた。

命とは本当に尊いものであると思う。

今日は私の父の60回目のお誕生日です。
おめでとうとありがとう。

3/9(Sun)
あなたは毎日を生きていて、「姿勢を正す」という行為をしていますか。

今日、大学の時の先輩が御弟子さんとして勉強されている、狂言のお稽古に連れて行っていただいた。
板張りの御稽古場で、先生が前に座り、それと向かい合うように生徒たちが座る。
そして先生がおっしゃった台詞、歌われた歌をそのまま真似して呼応する。
口伝えでの御稽古。
その間中、ずっっと正座。

「こりゃ〜すごい、みんな慣れててもう痛くないんだな。」と関心しつつ我慢我慢。。。
しかししかし、御稽古が終わってから、みんな「あいたた・・」と言っているではないか。
「皆さん痛いんですか?!」と聞くと、
「そら痛いわ〜、でもいろいろ工夫するんだよ」と。

いやはや、驚きである。
稽古中は、誰一人として、空気を乱さない。
足がしびれるということは肉体的な限界。
でもそれを超えるのは精神である。

姿勢を正すということはつまり、自分の体を一番シンプルな形にすることだと思う。
すべてをニュートラルな、空気の通りの良い場所に保ち、自分の意識をよりセンターに近づける。
肉体はあれど、すべてはその一本のライン=律した心身を中核とする。
その自分のありのままの姿を自分の師と仰ぐ者に対して、面と向かわせる。
ここで言う「師」とは、ただの権力者ではなく、自らが心から尊敬している人物であるべきである。

その人間には、すべてが見透かされている。
嘘も本当も、すべて、映し出される。
師と向き合うことはつまり自らと向き合うことなのだ。

先生は、70を過ぎ今もなお素晴らしい舞台を演じていらっしゃる。
今日初めてお会いした私も、自然と「先生」と呼んでしまう。
「先生」とは呼ばせるものではなく、「先生」と呼んで慕いたいという気持ちにさせる人間であること。
とにかく今日もいろいろ感じてまとまらないけれど、でも本当に素晴らしい一日でした。
感謝いたします。

筋が通るということはつまり、姿勢を正し、自らを律しているということである。

3/5 (Wed)


「Georgia on my mind」とクレームブリュレに泣いた夜

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